
宮古島周辺の無人島
宮古島周辺には、有人島の他に『無人島』があります。
本記事では、宮古島周辺にある無人島を紹介していきます。
パナリ
沖縄県宮古郡城辺町にある無人島です。
別名「パナリ岩礁」。
宮古島の東端・東平安名岬の東北東約2kmに位置する岩礁群。
南北1km、東西2kmほどの環礁の内側(東部)にある島です。
旧暦3月の大潮の時には環礁全体が姿を現し、宮古島から船で潮干狩りに訪れる人もいる島。
島の周囲は回遊魚アオムロなどの好漁場です。
ですが、宮古島の『東平安名岬』と『環礁』の間には、深い海があり船でしか行けません。
かつては、ニライカナイの神を祀る「離島御嶽(ぱなりうたき)」として、岬の根元にあった旧平安名村の人たちが船旅の安全を祈願する聖地だったといわれている場所。
沖縄の歴史書『琉球国由来記』には、女神が「ハナレ山」に顕れて船守の神になったという由来が記されています。
また、海鳥(クロアジサシ、マミジロアジサシなど)の国内有数の集団繁殖地としても知られています。
アジサシ類の「マミジロアジサシ」は宮古諸島が繁殖の北限です。
毎年春から夏にかけて飛来し、繁殖。
9月には南方へ飛び去る様子が見られます。
八重干瀬(やびじ)
沖縄県平良市にある無人島です。
別名「ヤビシ」。
池間島の北約16kmにある、現れては消える「幻の岩礁」です。
普段は海の底に沈んでいるので、簡単に見ることはできません。
年2回の大潮の時期だけ姿を見ることができます。
大小100以上の干瀬(暗礁)群からなり、その範囲は東西約12km、南北約7km、周囲25km。
その総面積は宮古島1島にも匹敵すると言われています。
平成12年10月には国土地理院によって八重干瀬全体の地図が作成されています。
八重干瀬周辺は、古くから優良な漁場。
暗礁の一つ一つに名前がつけられています。
一時は、池間島の住民が漁業権を持っていました。
ですが、戦前に伊良部島の住民との「漁業権争い」が発生したこともあります。
またダイビングスポットとしても知られる場所。
美しいサンゴ礁を求めて、ダイバーもやってくるダイビングスポットです。
ですが、周辺海域は航海の難所。
周辺を航行する際には、神聖な島「フデ岩」と「八重干瀬」で航海祈願をしたと言われています。
1797年、琉球を訪れたイギリスの探検船プロヴィデンス号が八重干瀬で座礁、沈没。
船長のウィリアム・ブロートンと船員は、別の船で宮古島へ脱出したという歴史もあります。
船員たちは、宮古島の人たちの手厚い保護を受けました。
ブロートンは、この出来事を自身の航海記『北太平洋航海記』(1804)にも記しています。
その内容は、『琉球・宮古には、親切の代償を求めない人々がいた』ことが書かれています。
平成9年5月17日、プロヴィデンス号の座礁200年目。
プロヴィデンス号が立ち寄った北海道室蘭市とも協力して、来航200年記念祭が行われました。
毎年、旧暦3月3日(サニツ)には、宮古島などから潮干狩り客が、たくさん訪れてきます。
平成16年は4月20日から22日の3日間だけで2,000人以上が訪れました。
潮干狩り客が多く来島することで、環境の破壊が問題化されるようになりました。
平成16年には平良市と宮古島観光協会によって『観光振興と観光保全のガイドライン』が策定された。
ガイドラインには、「八重干瀬における生物採取の禁止」などが盛り込まれています。
ガイドライン策定後は、サンゴの保護のために平良市が養成したガイドが同行、生態系の説明や環境保全指導を行なっています。
フデ岩
沖縄県平良市にある無人島です。
宮古島『狩俣地区』の北、約14kmにある琉球石灰岩でできた島。
宮古島からは遠い水平線に並ぶこの岩を眺めることができます。
面積0.002km2。
別名「フズ」「フジ」。
本土復帰後、すぐには土地の登記などもされていませんでした。
平成7年8月、宮古諸島9番目の島として平良市の行政区に編入されています。
平成7年10月には平良市職員によって国勢調査も行われ、居住者がいないことが確認されています。
植物は「モンパノキ」「ハキカズラ」など。
「カツオドリ」「アジサシ類」などの、海鳥たちの楽園になっている島です。
海鳥たちは魚のいる周辺を飛んで、魚を捕まえる習性があります。
そのため、海鳥たちを目印に、カツオ漁を生業とする池間島の漁業者には神聖な場所。
八重干瀬とともに重要な拝所となっている島です。
島内には第11管区海上保安部の太陽電池式灯台(昭和47年に初点灯)と、緊急用のヘリポートが設置されています。
それじゃあ、楽しく旅してね。
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